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ブログ作成日時
2025-02-11
更新日時
2025-02-11
ヘルスケア

悪性リンパ腫でさい帯血移植を受けた私の体験談

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悪性リンパ腫でさい帯血移植を受けた私の体験談

はじめに

「顔がむくんでいませんか?」ある日、同僚からの何気ない一言が、私の人生を大きく変えることになりました。当時30歳だった私は、IT企業でシステムエンジニアとして働いており、新規プロジェクトの立ち上げに没頭する日々を送っていました。確かに最近は残業も多く、疲れ気味だとは感じていました。休日は十分な睡眠を取るようにしていましたが、なかなか疲れが取れない。それでも、まさか重大な病気が潜んでいるとは想像もしていませんでした。

同僚の言葉をきっかけに、その日の帰りに鏡を見てみると、確かに顔がむくんでいました。「最近の不規則な生活が原因かもしれない」と思いながらも、念のために近くの総合病院の内科を受診することにしました。

内科での診察後、血液検査を受けることになりました。その結果、数値に異常が見つかり、血液内科の受診を勧められます。「まさか」という思いを抱えながら血液内科を受診し、さらなる精密検査を受けることに。そして約1週間後、私はTリンパ芽球性リンパ腫という診断を受けることになったのです。

血液のがんである悪性リンパ腫。その瞬間、頭の中が真っ白になり、医師の説明が耳に入ってこない。「まだ30歳なのに」「なぜ私が」「仕事はどうなる」「治るのだろうか」―様々な思いが頭をめぐる中、医師からは即座に入院と治療開始が必要だと告げられました。

診断時の病期はステージ3。進行した状態ではありましたが、血液のがんである悪性リンパ腫の場合、固形がんのようにステージで予後が大きく変わるわけではないと説明を受けました。「あなたの年齢であれば、治療に対する反応も期待できます。治療をすれば治る可能性は十分にあります」という医師の言葉に、かすかな希望を見出すことができました。

診断から入院までのわずか数日間で、私の生活は一変することになりました。仕事の引き継ぎ、入院の準備、家族への説明、保険や経済的な問題の確認など、やるべきことが山積みでした。しかし、周囲の人々のサポートのおかげで、なんとかスムーズに入院の準備を整えることができました。

目次

病気について

Tリンパ芽球性リンパ腫は、悪性リンパ腫の一種です。リンパ球のうちTリンパ球が異常増殖することで発症する病気で、比較的若い年齢での発症が特徴とされています。医師からは、「珍しい病型ではありますが、治療方針は確立されています」という説明を受けました。

私の場合、顔のむくみという症状で発覚しましたが、これは首や胸の部分にできた腫瘍により、静脈の血流が妨げられていたことが原因でした。診断時には既に全身のリンパ節に広がっており、縦隔(胸の中央部)にも大きな腫瘤が見つかっていました。

検査では、CTやPET-CT、骨髄検査など、様々な検査を受けることになりました。特にPET-CTでは、体のどの部分にがん細胞が存在するのかを詳しく調べることができ、その画像を見た時には愕然としました。体の至る所に光って見える部分があり、それが全てがん細胞の存在を示していたのです。

一般的な悪性リンパ腫の治療は、抗がん剤による化学療法が基本となります。病型や進行度によって治療方針は異なりますが、私の場合は強力な多剤併用化学療法が選択されました。また、化学療法で完全な寛解が得られない場合や、再発のリスクが高い場合には、造血幹細胞移植が検討されることになります。

入院当初は、標準的な化学療法で寛解を目指すことになりました。しかし、医師からは「治療効果が十分でない場合は、早い段階で造血幹細胞移植を検討する必要があるかもしれません」という説明も受けていました。当時の私には、その言葉の重みを十分に理解することはできませんでしたが、後になってそれが現実のものとなることを、この時はまだ知る由もありませんでした。

移植までの道のり

診断から移植までの5ヶ月間は、まさに時間との戦いでした。入院直後から、4種類の抗がん剤による治療が開始されました。治療計画では、約3週間を1クールとして、複数回の治療を行うことになっていました。

抗がん剤治療は想像以上に過酷でした。投与開始から数日後には激しい吐き気に見舞われ、食事が全く取れない日が続きました。髪の毛は束になって抜け落ち、全身の倦怠感で布団から起き上がることすら困難な日々。口内炎に悩まされ、水を飲むことさえ痛みを伴うようになりました。

それでも、病室の窓から見える景色の移り変わりを見ながら、「必ず良くなる」と自分に言い聞かせる毎日でした。点滴の管を持って廊下を歩く簡単なリハビリを行い、体力の維持に努めました。また、抗がん剤の副作用対策として、氷を口に含んで口内炎を予防したり、食べられる時にはできるだけ栄養を摂取するよう心がけました。

医療スタッフは、私の状態を細かくチェックしながら、適切な支持療法を行ってくれました。吐き気止めの種類や量の調整、感染症予防の対策、痛みのコントロールなど、様々な面でサポートを受けることができました。

しかし、5ヶ月の治療を経ても完全な寛解には至りませんでした。PET-CTの検査では、がん細胞の活動を示す部分が依然として残っており、主治医から「このまま化学療法を続けても効果は限定的です。臍帯血移植を検討しましょう」と告げられたのは、そんな時でした。

その言葉を聞いた時の気持ちは、今でも鮮明に覚えています。それまでの治療の甲斐なく、さらに強力な治療が必要だという現実。しかし同時に、「これが最後のチャンス」という思いも強くありました。

造血幹細胞移植には、骨髄移植、末梢血幹細胞移植、さい帯血移植があります。通常は兄弟や骨髄バンクからのドナーを探しますが、私の場合は一刻も早い移植が必要だったため、すぐに移植可能なさい帯血移植が選択されました。

移植のための臍帯血は、HLA(白血球の型)の一致度や細胞数などを考慮して選ばれます。幸いなことに、条件に合う臍帯血が見つかり、1月に移植が決定し、2月には移植を実施することができました。これは、さい帯血移植だったからこそ可能だったスピーディーな対応でした。

移植前処置として、大量の抗がん剤投与と放射線治療が行われました。これは、私の骨髄の中にある血液を作る細胞を完全に破壊し、新しい臍帯血の細胞が生着しやすい環境を整えるためです。放射線治療は全身に照射され、これまでの抗がん剤治療とはまた違った強い倦怠感を感じました。

この前処置により、一時的に免疫力が極めて低下した状態となります。感染症のリスクは最大となりますが、新しい血液を作る細胞を定着させるためには必要不可欠な過程でした。この時期は、無菌室での厳重な管理が必要となります。

移植後の経過

ついに移植当日を迎えました。臍帯血は、想像していたよりもはるかに少ない量でした。赤ちゃんの血液とはいえ、これだけの量で本当に大丈夫なのだろうかという不安がよぎります。しかし、医師からは「品質が確認された良好な臍帯血です」という説明を受け、期待と不安が入り混じる中、移植が開始されました。

移植は、点滴のように投与され、わずか30分ほどで終わりました。見た目は普通の輸血と変わりませんが、これが私の新しい命の始まりとなる瞬間でした。移植後は、さい帯血の中の造血幹細胞が骨髄に定着し、新しい血液細胞を作り始めるのを待つことになります。

しかし、移植後の日々は想像を絶する過酷さでした。無菌室での生活が始まり、約3週間の生着までの期間は、39度を超える高熱と激しい下痢に苦しみました。皮膚の炎症も起こり、体中が赤く腫れ上がりました。移植後の合併症である移植片対宿主病(GVHD)の初期症状との説明を受けましたが、その痛みと苦しみは言葉では言い表せないものでした。

免疫力がほぼゼロの状態で、感染症との戦いの毎日。家族との面会もガラス越しのみ。医師や看護師さんは完全防備で部屋に入ってきます。食事は無菌食のみ。部屋の中は陽圧に保たれ、外部からの菌の侵入を防いでいます。

「生着するのだろうか」「この苦しみはいつまで続くのだろう」という不安と恐怖が押し寄せる中、血液検査の数値が少しずつ上がっていく様子が、私にとって唯一の希望でした。白血球数、好中球数―これらの数値の上昇が、生着の兆しを示すサインとなります。

そして移植から約3週間後、ついに生着を確認することができました。主治医から「生着が確認できました」と告げられた時の喜びは、今でも忘れられません。それは、新しい命が私の中で息づき始めた瞬間でした。

生着後も、しばらくは体調の変化に細心の注意を払う必要がありました。感染症のリスクはまだ高く、GVHDの症状も完全には落ち着いていません。しかし、少しずつではありますが、体調は改善に向かっていきました。

退院後の生活

生着を確認してからも、すぐに普通の生活に戻れるわけではありません。感染予防のため、マスクの着用は必須で、人混みを避け、生もの摂取も制限されます。外出時は必ず手指消毒を携帯し、こまめな手洗いを心がけました。

自宅での生活にも多くの制限がありました。ペットとの接触は避け、観葉植物も置けません。掃除は毎日行い、特に寝具の清潔さには気を配りました。食事も、生もの禁止、加熱調理が基本というルールの中で、栄養バランスを考えながら工夫を重ねました。

定期的な通院と検査も欠かせません。最初は2週間に1回の通院でしたが、経過が良好だったため、徐々に間隔が延びていきました。1ヶ月に1回、3ヶ月に1回と、少しずつ通院の間隔が開いていくことが、回復の実感となっていきました。検査の度に、ドナーの臍帯血由来の血液細胞が、しっかりと私の体内で働いていることが確認されました。

仕事への復帰は、移植から約1年後でした。この1年間は、まさにリハビリの期間でした。少しずつ体力を取り戻し、日常生活にも慣れていく。最初は散歩から始め、徐々に活動範囲を広げていきました。

職場には病気のことを公表し、理解と配慮を得ることができました。最初は時短勤務から始め、徐々に勤務時間を延ばしていきました。免疫力がまだ完全には回復していない状態でしたので、マスク着用を継続し、頻繁な手洗いやアルコール消毒を欠かさないようにしました。同僚の皆さんの理解もあり、体調に無理のない範囲で仕事に取り組むことができました。

現在は移植から8年が経過し、半年に1回の検査で経過観察を続けています。検査項目は、血液検査を中心に、必要に応じてCTやPET-CTなども実施されます。8年という月日は、私にとって大きな意味を持っています。移植直後には想像もできなかった普通の日常が、今はかけがえのない宝物となっています。

体力面では、ほぼ移植前の状態まで回復しましたが、それでも疲れやすさは残っています。しかし、それは私が生きている証でもあります。適度な運動や十分な睡眠を心がけ、規則正しい生活を送ることで、体調管理に努めています。

また、定期的な歯科検診や予防接種なども欠かせません。移植後は免疫が新しく構築されるため、子どもの時に受けた予防接種も再度必要になります。医療スタッフと相談しながら、計画的に予防接種を受けていきました。

今の私から伝えたいこと

同じように悪性リンパ腫と診断された方、移植を控えている方へ。確かに、道のりは決して平坦ではありません。私も何度も挫けそうになりました。しかし、医療の進歩により、多くの治療選択肢が存在します。さい帯血移植も、その選択肢の一つとして大きな可能性を持っています。

もちろん、すべての患者さんの経過が同じというわけではありません。個人差があり、合併症の種類や程度も様々です。しかし、だからこそ、諦めないことが大切だと私は考えています。一つ一つの困難に向き合い、乗り越えていく。その先に、必ず光は見えてきます。

私の場合、30歳という若さも味方となり、順調な回復を遂げることができました。しかし、それ以上に、医療スタッフの献身的なケアと、家族や友人の支えが、大きな力となりました。病室のガラス越しに毎日顔を見せてくれた家族、励ましのメッセージをくれた友人たち、職場の理解ある対応。そうした周囲の人々の支えがあったからこそ、つらい治療を乗り越えることができたのです。

病気になって初めて気づいたことがたくさんあります。当たり前に過ごせる日常のありがたさ。家族や友人との絆の大切さ。そして、命の尊さ。これらは、健康だった頃には気づくことのできなかった、大切な気づきでした。

また、同じ病気と闘っている患者さんとの出会いも、大きな支えとなりました。入院中や外来での待ち時間に、互いの経験を語り合い、励まし合う。そうした交流が、心の支えとなりました。今では、患者会の活動にも参加し、自分の経験を他の患者さんのために役立てたいと考えています。

この経験を通して、私は命の尊さと、人とのつながりの大切さを改めて実感しました。また、一日一日を大切に生きることの意味を、身をもって学びました。病気になったことは決して良いことではありませんでしたが、この経験を通して得られたものは、私の人生にとって大きな財産となっています。

おわりに

この体験記を書くことを決めたのは、同じような状況で不安を抱えている方々に、少しでも希望を持っていただきたいと考えたからです。診断を受けた時の不安、治療中の苦しみ、そして回復に向かう喜び。これらすべての経験が、誰かの支えになれば幸いです。

確かに、悪性リンパ腫の診断を受け、移植を経験することは、大きな試練です。しかし、その試練を乗り越えた先には、必ず光があります。医療の進歩は目覚ましく、新しい治療法も次々と開発されています。どんなに暗い状況でも、希望を持ち続けることが大切だと、私は身をもって経験しました。

そして最後に、臍帯血を提供してくださった方への感謝を述べたいと思います。見知らぬ誰かの命を救うために提供されたその善意が、今の私の命を支えています。提供者の方のお顔を拝見することは叶いませんが、この感謝の気持ちは一生消えることはありません。この命を大切に生きていくこと、そして可能な限り社会に貢献していくことが、その恩に報いることだと信じています。

病気との闘いは、まだ完全に終わったわけではありません。定期的な検査は続きますが、それは私が生きていることの証でもあります。一日一日を大切に、感謝の気持ちを忘れずに、これからも前を向いて歩んでいきたいと思います。

Profile

眞野 瑶平 / Yohei Mano

大学卒業後、トヨタ車体株式会社入社
部品調達・物流・生産・設変管理を経験後、独立起業
2023年Weaps株式会社立ち上げに伴い、代表取締役就任

自身の経験を交えながらトヨタ生産方式(TPS)の導入および専用のWebアプリケーションを通じて企業の生産性向上を行っている。

ビジネスだけでなく投資・政治経済・ヘルスケアなど幅広い分野に精通しており、これらの知見を活かしブログでは生産性向上や資産形成、時事問題から健康管理まで、実用的な情報を発信中。